15年ぶりの「野ブタ。をプロデュース」

昨日なんとなくテレビ番組表を眺めていたら非常に驚いた。

夜10時からあの懐かしき番組「野ブタ。をプロデュース」が特別編で放送されるではないか。

眠いながらも当時と同じように土曜の夜にあの番組を見たいという思いから、テレビの前に座ってその時を待った。

いざ、番組が始まるとすぐに眠気は吹っ飛んだ。

やっぱり懐かしい!

そう。懐かしさで眠気なんてどこかに消えていた。

オープニングのあの薄ピンク色のブタと薄緑色のブタを見た瞬間、見ていた当時(小学生時代)に完全にタイムスリップしていた。

でも、視聴していて感じたことは当時とは少し違った。

あれから15年。
僕も色々と経験してきたからか、もっと深く、そして別角度からドラマを見ていた。

どう違うかというと

見ていた当時(2005年)

  • 亀梨くんと山Pかっこいい!
  • 野ブタ超暗いな
  • 高校って怖そう
  • 女王の教室の方が面白くね

という表面的な印象しか感じられなかったけれど、昨日は

昨日(2020年)

  • 暗くて何が悪い!
  • 嫌な人間だけでなく、助けてくれる人間も必ずいる
  • 世界は学校(職場)だけではない
  • 意外と個性的なキャラ多かったんだな笑

と当時よりは裏の意味を捉えることができた。

こんな感じで製作者の意図をなんとなく掴めたわけだが、次に僕なりに咀嚼してみたことを書いてみたい。


世界は広い。

学生なら学校、社会人なら職場が日々の生活で多くの時間を過ごす場所だろう。
一日のほとんどをそこで過ごすので、気づけば世界はそこだけであると感じてしまう。

しかし、実際は世界は学校や職場だけではない。

家の部屋だって一つの世界だし、少し外に出たら図書館や、好きな店など自分にとって心地よい世界がある。

野ブタ。をプロデュースで堀北真希演じる小谷信子(野ブタ)が坂東らのいじめっ子から本屋に逃げるシーンがあった。
2005年の僕にはそのシーンが”高鬼”のようにちょっとしたゲームのエスケープシーンのようにしか捉えられなかったと思うが、昨日の僕には本屋が人生においてのエスケープゾーンのようにも思えた。

つまり、死ぬほど嫌な学校という世界以外にも安心できる世界が他にあるというシーンに見えた。

日々の生活で視野が狭くなりがちだが、自分にとって安心できる環境を見つけることが大切だと思った。
もしその環境が見つからなくても世界は広いと自覚しているだけで少し楽になれると思う。

そういった意味で”旅”というのは物凄く有益だと思う。
自分の知らない世界を体験できるし、自分にとって心地よい世界を探すきっかけになると思う。
また、ひとり旅では自分自身を見直すことができる上に、実際に旅を終えた時にはかけがえのない自信を手に入れることができる。

「かわいい子には旅をさせよ」という言葉があるが、この言葉の本当の意味は「自分の子が可愛いなら、辛い経験をさせよ」と”世の中の厳しさ”にフォーカスした言葉であるそうだ。
昔は交通機関が発達していなかったため、”旅”というものがキツかったことから、生まれたらしい。
しかし、現代は交通機関も広く整備されており、”旅”というものはそこまで辛くない。
むしろ楽しいものだ。
また、昔に比べると生き方、職業の選択肢も多くある。
選択肢が多いことは一見”自由”そうに見えるが、適性が何なのか分からないという意味である意味”不自由”である。
したがって、僕は現代バージョンに置き換えるなら「自分の子が可愛いなら、旅で知見を広げよ」という意味にしても良いと思う。

少し脱線してしまったが、世界は本当に広い。


そして、世界には色々な人間がいる。

十人十色という言葉があるように一人一人違った考えを持っている。
つまり価値観は人それぞれで違う。
そのため、所属するコミュニティーには必ず嫌な人間が一定数いる。
そして、同時に自分を助けてくれる人間も一定数いる。

僕もこの15年間高校、大学、アルバイト、そして社会人としての職場と色々な世界を経験した。
やっぱりどの世界にも嫌な奴が一定数存在した。
そして時には野ブタの坂東のように僕を攻撃してくる奴もいた。
その時は理不尽さからくる怒りと悲しみで世界が本当に黒く見える。
何もかもが嫌に見える。

でも、思い返せばそんなどん底みたいな状況でも僕に手を差し伸べてくれる人が必ずいた。

昔の僕は自分が暗黒面にいる最中は全ての人が敵に見え、また助けてもらう恥ずかしさからせっかく差し伸べてくれた手を自ら払ってしまっていた。

しかし、色々と経験を積むうちに、手を差し伸べてくれる有り難さを感じるようになり、今は素直に助けてもらっている。

諸悪の権現は攻撃者だと思うが、歴史的にみてもこの攻撃者はどの時代にも存在する。
彼らも”攻撃”という手段で意志を表現しているのであるのだろうけど、やっぱりムカつく。
でも、歴史的にみても攻撃者がずっと存在していることから、そういった価値観の違う人間とも共存していかなければならないのだろう。

野ブタが修二と彰にプロデュースされていくように、僕も助けてくれる味方の力を借りながら進化していきたいと思った。

これが周りとうまくやっていくということなのだろう。


変わっていても良い。相手に伝えてみたい。

野ブタ。をプロデュースには山P演じる彰、夏木マリ演じる教頭、忌野清志郎演じる本屋のおっさんなど個性的なキャラが出ている。
彼らは世間でいう”変人”という括りに該当するかもしれない。


しかし、彼らはドラマの中で言葉や竹刀やらでしっかりと自分の意見や意思を相手に伝えていて、尚且つ、その周りとは一味違う考えがより一層面白さを引き出していると思う。


この面白さはアウトプットしなければ始まらない。
でも、本当にアウトプットすることはものすごく怖い。
価値観や思考が少数派ではあるため、不審な目で見られてしまうかもしれないからだ。


しかし自分を理解してもらうためには、まず自分の考えを相手にしっかり伝えることが大切だと思った。
そして自分の考えやその表現方法が周りと変わっていても、相手に迷惑さえかけなければ、それは個性となり、唯一の面白い味になると思う。

僕はASDで自分の考えを相手に伝えるのが苦手だ。
だから、相手にとってみれば僕が何を考えているのか分からないため、距離が埋らない。
そのため、人とある一定距離から近しい関係性になりづらい。


幼い頃の僕は理性によって制御されることなく思いのまま発言し、行動していた。
でも、その発言や行動が周囲には理解されにくかったため、変な人と思われていた。
僕は「普通でありたい。変に思われたくない。」という思いから、いつしか自分が素直に感じたことを発することなく、内に閉じ込めるようになった。
そして、それが習慣化したため、今ではどう発信すれば良いか分からなくなっている。

しかし、昨日改めて「野ブタ。をプロデュース」を見て、あまり”普通”であることにこだわることなく、個性として自分の意見をもっと出していったら、もっと面白い人間になれ、人との距離も縮めることができるのではないかと思った。


来週は特別編第2話を放送するらしい。

とても楽しみだ!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です